ハイチからメールが来た~!
今日は、とってもいい
メールがハイチから届いた。
実は、ドミニカに行っていた際、知り合ったハイチ人の十代男の子は地震で足を骨折。
彼は自分の人生はもう終ったのと同然だと嘆き...。
本当、言葉にもなりません。
この彼の話をちょっと。
あの大地震は怪我から逃れる事が出来たのに 余震で右足を骨折。
10日経っても手術の見通し着かないハイチ側 にいました。
外国人がドミニカ側で病院を開いて待っているという噂が流れ、
幸運にもそこを目指す救済トラックに拾い上げられたそう。
皮肉にもこの足のおかげで念願のハイチ脱出。

(いつか、こんな国からでてやる~! と思ってたらしい。)
そして、とうとう病院へ。
しかし、そこには最新 医療機材が全くなかった のである。

あるのは、地震の事を聞きつけて、自分のクリニックから持ち寄った薬や小さな救急の手術道具。
(うちの旦那はこんな緊急な手術医ではないんで持っていったのは薬、注射器ぐらいだったと思う。)
まず、ER にはレントゲンが必要だよね。 それもまだ到着していなかったらしい。
他の大怪我を負った人たちは次々とアンピュファイ(切断)されてます。
この暑さの中では、そうするしかなかったのです。
それを専門としていた女性医師の方とも話をしましたが、
私にさらりとそれを話す彼女に心が痛みました。
でも仕方がないのですよ。
ほんと傷口から病原菌が命も奪ってしまうんですから。
幸いにも、
トマン君の足は切断を免れるべく、骨接ぎの手術をする事 になりました。
しかし、足の中に『接木(合金属)』を入れるアメリカや日本では当たり前の手術が出来ません。
そんな高度な技術を持った医師でも素材がないから出来ない。
次に出来る事は、足の外側から2本の接木をボルト を
埋め込む事だったそう。
その上、全身麻酔なんて代物ありません。
なんとドミニカ産のラム酒を一揆飲み! させるしかないと。。。
それを見た、トマン君『それが錆びたら僕は歩けなくなっちゃうんだ~!』 と喚いたそうです。
上の女医二ールさん、『これはスプーンやナイフと一緒で錆びないのよ。』
トマン君、『そんなスプーンで脚留めたら曲がって歩けなくなる~!』
『俺はバスケットチームに入ってお金持ちになるんだ~!』 と叫んだそう。
こんな彼にドクターは、
これから使う その接木をコンクリートの壁にガンガンぶつけて
『大丈夫! これはそんなに簡単には曲がんないんだから!』 と安心させたの。
そんなかんなで、今になります。
やっとその『接木』を取ってみる事になったそう。
彼を知るフランス人の救済員がメールを送ってくれたのでした。
早く、前のように、バスケで大金持ちを目指してたパワフルな彼に戻って欲しいな。
きっときっと大変だろうけど、そう願うしかない。


っと思ったけど嬉しいので未公開の写真も公開しよう。

パパ、3週間以上移動中、
常にこの20リットル入りの水のタンク を持って歩いた。
最初の10日間、ママから『 超・ドケチ!』 と罵られ、
(だって半分入ってるだけでも余分な10Kg! 水なんて現地の人でも街ごとに買う。ハイチじゃないんだから。)
タンクは120ペソで水が30ペソ。 計約5ドル。
ちなみに信じられないことに、このタンクを
最後の街では 払い戻しが効かなかった為、持って帰ってきた のよ。
出会った頃の彼...ここまでケチだ とは、知る余地もなかった。
そもそも、一文無しになった彼をリッチな私が貢いだってとこもやられた気が する。
(なんか、すごくいや~な男に引っかかったバカな女?! って勘違いされる?!)
いいの、
運命
だから。

朝方の方が暑くないのでひたすら早く移動の時は早く出た。
でも、結局次の目的地に早く着きすぎたりで...灼熱の中を歩いたり。
店もない、ゴミだらけの土地を横切ってなるべく短距離にしようとしたり。
ヤギにも何度も威嚇されたり。

それでも、 毎回3キロ は歩かせたかも。
そんな中、みんなが言ったことは『あの恐怖のキャンプ道よりマシ。』キャンプ道へ(リンク)
うちの子供たちはほんとに根が強い子だ。

やっとの事村に着いても、泊まる所が決まってないので、
とりあえず、休憩させて、パパが探し回った。

子供は言葉の壁関係なく、すぐにお友達を作る事が出来る。
(彼女たちはハイチから地震前に貧困を理由に不法入国してきたの。)
この子達はそんな理由で地元の学校には行けないの。
朝のうちはポップコーンを浜で売ってます。
昼の数時間は救済機関の青空学校に行ってるんだって。
私たちと遊んでいてポップコーンが売れなかったらめちゃ気の毒で...
5人分買ったら、『そんな心配後無用!』と
残ったら自分らのご飯になるらしかった。 この子達の根も一段と強い~!
砂場の道具がなくったって当たり前のようにどんどんと新しい遊びを考え出す。
彼女たちとは教会を通して帰国後も連絡を取れるようにしている。
ルーちゃんはホームスクール学校でスペイン語を取っていて
今では 学校もペンパル を始めたよ。

いつか、ニカラグアやドミニカ、その他のペンパルのいる国に行こうと計画してる。
私が、1年かかってマスターした語学力をこの2ヶ月でマスターしたかも。
『スペイン語は日本語よりずっと簡単!』らしい。
お父さん、お母さんすみません。

地元教会でも、ガラクタ市で資金集めをしてみたり。

こうちゃんとアレグザンドリアちゃんは、いつも内緒事を囁き合っていた。

彼女は、ハイチの子。クレオー語(フランス語)スペイン語を話す。
不思議な関係でした。

他の村でも、全くスペイン語の喋れないハイチから来たて!のお友達とも仲良く遊んだよん。
こういった家族は、全く何もする事ないので一日中、浜辺でいたり。
夜は危ないので(家がないから)茂みで起きてたり。(だからママ、パパは寝てます昼は。)[ emoji:e-261]

パイニーあのコーラ事件の翌日。
お腹の調子がよろしくなく、みんなと遊びたいのにホテルに帰らないといけないと泣きべそに。
途中ですが、いいかげん長くなったので。
クリックよろしくね!
明日きっとカントリママーもっとパワフルになります。




実は、ドミニカに行っていた際、知り合ったハイチ人の十代男の子は地震で足を骨折。
彼は自分の人生はもう終ったのと同然だと嘆き...。
本当、言葉にもなりません。
この彼の話をちょっと。
あの大地震は怪我から逃れる事が出来たのに 余震で右足を骨折。
10日経っても手術の見通し着かないハイチ側 にいました。
外国人がドミニカ側で病院を開いて待っているという噂が流れ、

幸運にもそこを目指す救済トラックに拾い上げられたそう。
皮肉にもこの足のおかげで念願のハイチ脱出。


(いつか、こんな国からでてやる~! と思ってたらしい。)
そして、とうとう病院へ。
しかし、そこには最新 医療機材が全くなかった のである。


あるのは、地震の事を聞きつけて、自分のクリニックから持ち寄った薬や小さな救急の手術道具。
(うちの旦那はこんな緊急な手術医ではないんで持っていったのは薬、注射器ぐらいだったと思う。)
まず、ER にはレントゲンが必要だよね。 それもまだ到着していなかったらしい。
他の大怪我を負った人たちは次々とアンピュファイ(切断)されてます。
この暑さの中では、そうするしかなかったのです。
それを専門としていた女性医師の方とも話をしましたが、
私にさらりとそれを話す彼女に心が痛みました。
でも仕方がないのですよ。
ほんと傷口から病原菌が命も奪ってしまうんですから。
幸いにも、
トマン君の足は切断を免れるべく、骨接ぎの手術をする事 になりました。
しかし、足の中に『接木(合金属)』を入れるアメリカや日本では当たり前の手術が出来ません。
そんな高度な技術を持った医師でも素材がないから出来ない。
次に出来る事は、足の外側から2本の接木をボルト を
埋め込む事だったそう。

その上、全身麻酔なんて代物ありません。
なんとドミニカ産のラム酒を一揆飲み! させるしかないと。。。

それを見た、トマン君『それが錆びたら僕は歩けなくなっちゃうんだ~!』 と喚いたそうです。
上の女医二ールさん、『これはスプーンやナイフと一緒で錆びないのよ。』
トマン君、『そんなスプーンで脚留めたら曲がって歩けなくなる~!』
『俺はバスケットチームに入ってお金持ちになるんだ~!』 と叫んだそう。
こんな彼にドクターは、
これから使う その接木をコンクリートの壁にガンガンぶつけて
『大丈夫! これはそんなに簡単には曲がんないんだから!』 と安心させたの。
そんなかんなで、今になります。
やっとその『接木』を取ってみる事になったそう。
彼を知るフランス人の救済員がメールを送ってくれたのでした。
早く、前のように、バスケで大金持ちを目指してたパワフルな彼に戻って欲しいな。
きっときっと大変だろうけど、そう願うしかない。



っと思ったけど嬉しいので未公開の写真も公開しよう。

パパ、3週間以上移動中、
常にこの20リットル入りの水のタンク を持って歩いた。
最初の10日間、ママから『 超・ドケチ!』 と罵られ、
(だって半分入ってるだけでも余分な10Kg! 水なんて現地の人でも街ごとに買う。ハイチじゃないんだから。)
タンクは120ペソで水が30ペソ。 計約5ドル。
ちなみに信じられないことに、このタンクを
最後の街では 払い戻しが効かなかった為、持って帰ってきた のよ。
出会った頃の彼...ここまでケチだ とは、知る余地もなかった。

そもそも、一文無しになった彼をリッチな私が貢いだってとこもやられた気が する。
(なんか、すごくいや~な男に引っかかったバカな女?! って勘違いされる?!)
いいの、



朝方の方が暑くないのでひたすら早く移動の時は早く出た。
でも、結局次の目的地に早く着きすぎたりで...灼熱の中を歩いたり。
店もない、ゴミだらけの土地を横切ってなるべく短距離にしようとしたり。
ヤギにも何度も威嚇されたり。

それでも、 毎回3キロ は歩かせたかも。
そんな中、みんなが言ったことは『あの恐怖のキャンプ道よりマシ。』キャンプ道へ(リンク)
うちの子供たちはほんとに根が強い子だ。

やっとの事村に着いても、泊まる所が決まってないので、
とりあえず、休憩させて、パパが探し回った。

子供は言葉の壁関係なく、すぐにお友達を作る事が出来る。
(彼女たちはハイチから地震前に貧困を理由に不法入国してきたの。)
この子達はそんな理由で地元の学校には行けないの。
朝のうちはポップコーンを浜で売ってます。
昼の数時間は救済機関の青空学校に行ってるんだって。
私たちと遊んでいてポップコーンが売れなかったらめちゃ気の毒で...
5人分買ったら、『そんな心配後無用!』と
残ったら自分らのご飯になるらしかった。 この子達の根も一段と強い~!
砂場の道具がなくったって当たり前のようにどんどんと新しい遊びを考え出す。
彼女たちとは教会を通して帰国後も連絡を取れるようにしている。
ルーちゃんはホームスクール学校でスペイン語を取っていて
今では 学校もペンパル を始めたよ。


いつか、ニカラグアやドミニカ、その他のペンパルのいる国に行こうと計画してる。
私が、1年かかってマスターした語学力をこの2ヶ月でマスターしたかも。
『スペイン語は日本語よりずっと簡単!』らしい。
お父さん、お母さんすみません。

地元教会でも、ガラクタ市で資金集めをしてみたり。

こうちゃんとアレグザンドリアちゃんは、いつも内緒事を囁き合っていた。



彼女は、ハイチの子。クレオー語(フランス語)スペイン語を話す。
不思議な関係でした。

他の村でも、全くスペイン語の喋れないハイチから来たて!のお友達とも仲良く遊んだよん。
こういった家族は、全く何もする事ないので一日中、浜辺でいたり。

夜は危ないので(家がないから)茂みで起きてたり。(だからママ、パパは寝てます昼は。)[ emoji:e-261]

パイニーあのコーラ事件の翌日。
お腹の調子がよろしくなく、みんなと遊びたいのにホテルに帰らないといけないと泣きべそに。
途中ですが、いいかげん長くなったので。
クリックよろしくね!
明日きっとカントリママーもっとパワフルになります。



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