カントリー家のクリスマスイブ。
おしらせ。
また、ブログの調子が悪いです。前と同じで左のコラムがなくなって、下に落ちました。
初めての方で見たい方は、下までいくか、この記事のタイトルをクリックしてね。
カントリーママより。
今日もパパは朝からお仕事、それもめったにしない9時アポ。
血液検査なので、患者さんは12時間以上何も食べていない。
だから、パパも朝食は抜きで出勤。
(えっ、優しい? うん、そうなんだけどね。
でも実は開業当時まだ血が苦手だった彼。食べていく余裕がなかったの。それだけ。)
でも今は...どうなんだろうね。
パパが帰ってくるまではお勉強。
でもそれもさっさと終わらせ、クリスマスの事やサンタさん、世界各国のクリスマスの事について
調べてみました。
そして私のブログリンクにも付いているタクヤ君のオトンのブログを見ていると
サンタさんをトラッキングできるではないか!
そろそろ、用意をしようと思ったのに...はまってしまいました。
(世界の考えた事もない地域をグーグルで見たり。)
カントリー家はあんまり家の中で賑やかなパーティをしない。
食事とかでワクワクするけれど比較的、どんちゃん騒ぎはない。
(私の家族は日本、パパの家族は東海岸。なのでアメリカンな家族大勢大騒ぎはない。)
イブはどこか近くの 小さな教会でクリスマス集会に行く のがカントリー家の伝統。

毎年行く日になって決める、今日はなんと歩いて3分の教会。
実は、子供がいつも行ってる 小学校の集会室を借りて行われてる教会。


これって実は驚きなんだよ。
アメリカの公立って今、すごく宗教に敏感で特になぜかキリスト教は教室内ではご法度。
例えば、クラスの課題に「自分達の好きなもの」というのがあり、
生徒の一人が、インドのシバ象を持ってきてその話をしてもそれほど波は立たないが、
もう一人がジーザス像(真のクリスチャンは人間のつっ食った偽物の彼を祀ったりはしないけど。)
を持ってきて話をしようもんなら、新聞沙汰になる事もある。
150年前は学校と教会が同じってのは当たり前だったのにね。
(これを書いてる間、子供達はTVシリーズで一番好きな
大草原の小さな家
を観ています。)
これはパパもママにとっても一番お勧め、子供の頃から思い出です。
(10年以上のシリーズ観たい人はKing Countyの図書館で借りましょう。)
たくさんのクリスマスキャロルを歌い、キャンドルを灯し、
心は感謝の気持ちで、心の底から幸せになりました。 

こんな小さな教会にも ミラクルは起きました。
3年前、真裏に引越しして来た家族にジーザスの愛をおすそ分けしたくて
何度か手作りのお菓子や立ち話で近所関係をとってきたんですが、なんとこの教会に来てくれました。
そして、そこのパパ、いつの間にかめちゃクリスチャンになってました。

そしてこの歌は、意味あるものとなりました。
『ひざまずき、天使の声を聞きなさい。 キリスト様(救い主)が誕生したこの夜。』
『神々しい、素晴らしきこの夜。』

帰り道、こんな家がありました。通る人があるたびにトラックの中から
音楽にあわせ、光のショー。 
家に帰って来てしたことは、 この家に引越しからずっとしてる伝統の儀式。
トナカイさんへの空飛びパワーのえさ。
オートミールにキラキラパウダー(クリスマスの飾り物から落ちる)を交ぜ、
シナモン、ラベンダー、などのドライハーブも少し。
これをお外に振りかけておきます。
(カントリー家の子供達はクリスマスはサンタさんのものでなくジーザスの誕生日だと思っている)
でもこういう、メルヘンな事は許してるし。
創造する力が溢れてるので楽しみましょう。

教会にいたご婦人から子供達にクリスマススイートのプレゼント。
はじめは一人、一袋づつ貰ったんだけれど、ルーはすぐさま隣にいた子にあげ、
パイニーも私の目線で悲しいかな、仕方なく返す。こうちゃんのも返すのは失礼かと...。
「 ありがとう 」とありがたく頂戴してきたものの...カントリー家の子の口の中には納まらず。
代わりに、ハローウィーンに買ったオーガニックの ペロペロキャンディで交渉作戦。
パイニー全く、交渉に耳を貸す気配なし。 コワーィ。 

今年はリビングルームの ど真ん中にギフトを山積み。
天使達が自分達の手で作ったギフトもいっぱいだよ。
見てるだけで幸せだよーぉ。

明日は、朝作る暇なんてないと思うので、
スロークッカーを使ってラム肉のモロッコ風(Tangine)を仕込んでおきました。
これに、自家製のミントペーストで、ちょっと変わったクリスマスディナー。
聖書の言葉
エマニュエルー神は私達と共に。今まで神は神々しく遠く手の届かない存在だったんだと思う。
でも、その神が私たちに同じ人間として生きた方をくださった。
そんな中、王と王妃の間に生まれるわけでもなく
なんと馬小屋でという身分の低い者達の象徴にお生まれになった。
これは、どんな身分、価値ないと思われている者でも、人間全てに神は愛を注ぐという事ではないでしょうか。
コメントをくれた方にはちゃんとお礼の訪問しますね。
忘れずにクリックもしてくださいな。
クリックよろしくお願いします。 こっちは国際結婚ランキング !

こっちは日本ブログ村ランキングで応援してくれる君。



また、ブログの調子が悪いです。前と同じで左のコラムがなくなって、下に落ちました。
初めての方で見たい方は、下までいくか、この記事のタイトルをクリックしてね。
カントリーママより。
今日もパパは朝からお仕事、それもめったにしない9時アポ。
血液検査なので、患者さんは12時間以上何も食べていない。
だから、パパも朝食は抜きで出勤。

(えっ、優しい? うん、そうなんだけどね。
でも実は開業当時まだ血が苦手だった彼。食べていく余裕がなかったの。それだけ。)
でも今は...どうなんだろうね。
パパが帰ってくるまではお勉強。

でもそれもさっさと終わらせ、クリスマスの事やサンタさん、世界各国のクリスマスの事について
調べてみました。
そして私のブログリンクにも付いているタクヤ君のオトンのブログを見ていると
サンタさんをトラッキングできるではないか!

そろそろ、用意をしようと思ったのに...はまってしまいました。
(世界の考えた事もない地域をグーグルで見たり。)
カントリー家はあんまり家の中で賑やかなパーティをしない。
食事とかでワクワクするけれど比較的、どんちゃん騒ぎはない。
(私の家族は日本、パパの家族は東海岸。なのでアメリカンな家族大勢大騒ぎはない。)
イブはどこか近くの 小さな教会でクリスマス集会に行く のがカントリー家の伝統。

毎年行く日になって決める、今日はなんと歩いて3分の教会。
実は、子供がいつも行ってる 小学校の集会室を借りて行われてる教会。



これって実は驚きなんだよ。
アメリカの公立って今、すごく宗教に敏感で特になぜかキリスト教は教室内ではご法度。

例えば、クラスの課題に「自分達の好きなもの」というのがあり、
生徒の一人が、インドのシバ象を持ってきてその話をしてもそれほど波は立たないが、
もう一人がジーザス像(真のクリスチャンは人間のつっ食った偽物の彼を祀ったりはしないけど。)
を持ってきて話をしようもんなら、新聞沙汰になる事もある。

150年前は学校と教会が同じってのは当たり前だったのにね。
(これを書いてる間、子供達はTVシリーズで一番好きな


これはパパもママにとっても一番お勧め、子供の頃から思い出です。
(10年以上のシリーズ観たい人はKing Countyの図書館で借りましょう。)
たくさんのクリスマスキャロルを歌い、キャンドルを灯し、



こんな小さな教会にも ミラクルは起きました。

3年前、真裏に引越しして来た家族にジーザスの愛をおすそ分けしたくて
何度か手作りのお菓子や立ち話で近所関係をとってきたんですが、なんとこの教会に来てくれました。
そして、そこのパパ、いつの間にかめちゃクリスチャンになってました。


そしてこの歌は、意味あるものとなりました。
『ひざまずき、天使の声を聞きなさい。 キリスト様(救い主)が誕生したこの夜。』
『神々しい、素晴らしきこの夜。』

帰り道、こんな家がありました。通る人があるたびにトラックの中から


家に帰って来てしたことは、 この家に引越しからずっとしてる伝統の儀式。
トナカイさんへの空飛びパワーのえさ。

オートミールにキラキラパウダー(クリスマスの飾り物から落ちる)を交ぜ、
シナモン、ラベンダー、などのドライハーブも少し。
これをお外に振りかけておきます。
(カントリー家の子供達はクリスマスはサンタさんのものでなくジーザスの誕生日だと思っている)
でもこういう、メルヘンな事は許してるし。
創造する力が溢れてるので楽しみましょう。


教会にいたご婦人から子供達にクリスマススイートのプレゼント。
はじめは一人、一袋づつ貰ったんだけれど、ルーはすぐさま隣にいた子にあげ、
パイニーも私の目線で悲しいかな、仕方なく返す。こうちゃんのも返すのは失礼かと...。
「 ありがとう 」とありがたく頂戴してきたものの...カントリー家の子の口の中には納まらず。

代わりに、ハローウィーンに買ったオーガニックの ペロペロキャンディで交渉作戦。





今年はリビングルームの ど真ん中にギフトを山積み。

天使達が自分達の手で作ったギフトもいっぱいだよ。
見てるだけで幸せだよーぉ。


明日は、朝作る暇なんてないと思うので、
スロークッカーを使ってラム肉のモロッコ風(Tangine)を仕込んでおきました。
これに、自家製のミントペーストで、ちょっと変わったクリスマスディナー。


エマニュエルー神は私達と共に。今まで神は神々しく遠く手の届かない存在だったんだと思う。
でも、その神が私たちに同じ人間として生きた方をくださった。
そんな中、王と王妃の間に生まれるわけでもなく
なんと馬小屋でという身分の低い者達の象徴にお生まれになった。
これは、どんな身分、価値ないと思われている者でも、人間全てに神は愛を注ぐという事ではないでしょうか。
コメントをくれた方にはちゃんとお礼の訪問しますね。
忘れずにクリックもしてくださいな。
クリックよろしくお願いします。 こっちは国際結婚ランキング !

こっちは日本ブログ村ランキングで応援してくれる君。


