パパと遊び友達。
やっぱり これ食べてたんだあ~!!

大人冒険キャンプから帰ってきた旦那の車の中から出てきたのは、ママを悩ます、あの代物が。
その代物とは...M.R.E (Meal ready to Eat) いつでも食べれる 野戦非常食。
個々のメニューは約1200カロリー。
野戦食であるため、数々の包装基準があり、次の条件を全て満たす必要がある。
*高度380mからのパラシュート投下・高度30mからの単体梱包投下でも破損しない事
*外気温27度で最低3年間、38度でも最低6ヶ月保管出来る事
*マイナス51度からプラス49度までの気温に短期間耐える事
初期は、保存性のみを重視した極端な質の悪さにより、MREをもじった様々な別名で呼ばれ、
「誰もが食べることを拒否したメニュー(Meals Rejected by Everyone)」や
「食べ物に似た何か別の物体(Materials Resembling Edibles)」といった別名もあった。
MREは軍用品であるので一般には出回っていないはずであるが、
日本でも比較的容易に実物が手に入る。
その多くは「コレクション用」などの備考が付してあり、
実際どのような経路を辿って販売されているのか不明な場合がほとんど。
マニアによるサイトなども多い。
旦那の所持している物は、マニア品ではない。
実は、彼の父親が、元海軍のお偉いさん。
そんなお父さんに
『誕生日のプレゼントは、アーミー(軍)セットが欲しい。』 と言ったらしい。
そしてゲットしたのが、倉庫にどっさりMRE だったらしい。
まだ声変わりもしていていない彼らは、
これらを持って山にトレッキングをしつつも アーミーになりきり、食事をしたそう。
なんと、その当時のMREが、今でもカントリー家には保管されている。
実に 今年で23年もん。
この写真の物は、フリーズドライビーフ。
御父様に頂いた、半端じゃない量のMREは、この調子だとあと10年は、
カントリー家のキャンプグッズとして、毎年消費されそう。
いくら、保存食だとしても...遠慮したい。が本音なママ。
ちなみに、キッズはこの年月をどう思っているのか...
3年以上前からハイキングやキャンプに行く際には、必ずリュックに入れ、持参してます。
ちなみに、こんな方もいます。

ヘンリーAモーク陸軍大佐。1973年にベトナム沖海兵隊のヘリコプターのパイロットとしていた彼は、
生きて帰りたいという思いか、この時配給されたパウンドケーキを食べずに他の記念品と一緒に
仕舞い込み、いつか退軍するまで食べるのはお預けだ!と誓ったという。
1969年に作られたパウンドケーキを自分の引退式で食べたそう。
そして2009年、この退役軍人男は退職パーティーで40歳のCレーションのパウンドケーキを試みた。
「これはまだ少ししっとりしてるよ。」
彼の退職パーティーの参加者は、彼に食べるように進められたが、タジタジ"だったという。
ところで、やっぱりうちの旦那、何かあるまで電話連絡はしてきませんでした。
『車...今、修理してもらってる。』
『だから直り次第、帰るから。』
夜中、帰宅。
『お腹空いた~!お好み焼き作って~!!』
やはり、毎日暗くなるまで、疲れるまで忙しく遊んだのね。
まともな料理、食事でなかったのか?!
翌日。日本の文化が大好きなキースを、回転寿司に連れて行く事にした。

パイニー大喜び~! サーモン食べまくり! マグロ食べまくり~!

キースもパパよりいろいろなものに挑戦してゆきました。
彼は、空手のブラックベルト。
ほんとは、シアトルじゃなくて、今週は日本にぶらりと行こうかな?と考えてたらしい。
寿司を食べながら、旦那そっちのけで会話。
パパとはまた違ったマニアックな性格。
実は、彼、先日書いた、私がいつか結婚するだろうな~っと思い描いていたようなタイプのドクター。
手術医。(でも現実は...理想がぴたり自分に合ってるとは限らない。神様、サンキュー)後日アップ。
うちのパパがドクターになるきっかけを作った人でもある。
大学でそろそろ何を職業とするか決めないといけなかった頃、
『医者にでもなろうかな。』とキース。
『じゃ、俺も。』と...。
二人ともオールA学生だったので、簡単に次のステップへ。
でもうちの旦那は、現代医学が気に食わなくて、自然治療法で随一のシアトルの大学へ。
この10数年間で両者結婚、親になったそう。(残念ながら、一人は只今シングル。)
合えたチャンスは、数えるほどだった。
そんな訳で、今回こうやって若かった時のように二人が遊べた事は、良い事。
残る時間、もっと危険な冒険、しておいで~!
『いや、もうクタクタ! 疲れた。』 (二人とも。)
ここに流れ過ぎ去った歳月を感じます。
という事で、私のお勧めする市内観光!
これは、長くなったのでパート2にしておきます。


大人冒険キャンプから帰ってきた旦那の車の中から出てきたのは、ママを悩ます、あの代物が。
その代物とは...M.R.E (Meal ready to Eat) いつでも食べれる 野戦非常食。

個々のメニューは約1200カロリー。
野戦食であるため、数々の包装基準があり、次の条件を全て満たす必要がある。
*高度380mからのパラシュート投下・高度30mからの単体梱包投下でも破損しない事
*外気温27度で最低3年間、38度でも最低6ヶ月保管出来る事
*マイナス51度からプラス49度までの気温に短期間耐える事
初期は、保存性のみを重視した極端な質の悪さにより、MREをもじった様々な別名で呼ばれ、
「誰もが食べることを拒否したメニュー(Meals Rejected by Everyone)」や
「食べ物に似た何か別の物体(Materials Resembling Edibles)」といった別名もあった。
MREは軍用品であるので一般には出回っていないはずであるが、
日本でも比較的容易に実物が手に入る。
その多くは「コレクション用」などの備考が付してあり、
実際どのような経路を辿って販売されているのか不明な場合がほとんど。
マニアによるサイトなども多い。
旦那の所持している物は、マニア品ではない。
実は、彼の父親が、元海軍のお偉いさん。
そんなお父さんに
『誕生日のプレゼントは、アーミー(軍)セットが欲しい。』 と言ったらしい。
そしてゲットしたのが、倉庫にどっさりMRE だったらしい。
まだ声変わりもしていていない彼らは、
これらを持って山にトレッキングをしつつも アーミーになりきり、食事をしたそう。
なんと、その当時のMREが、今でもカントリー家には保管されている。
実に 今年で23年もん。
この写真の物は、フリーズドライビーフ。
御父様に頂いた、半端じゃない量のMREは、この調子だとあと10年は、
カントリー家のキャンプグッズとして、毎年消費されそう。
いくら、保存食だとしても...遠慮したい。が本音なママ。
ちなみに、キッズはこの年月をどう思っているのか...
3年以上前からハイキングやキャンプに行く際には、必ずリュックに入れ、持参してます。
ちなみに、こんな方もいます。

ヘンリーAモーク陸軍大佐。1973年にベトナム沖海兵隊のヘリコプターのパイロットとしていた彼は、
生きて帰りたいという思いか、この時配給されたパウンドケーキを食べずに他の記念品と一緒に
仕舞い込み、いつか退軍するまで食べるのはお預けだ!と誓ったという。
1969年に作られたパウンドケーキを自分の引退式で食べたそう。
そして2009年、この退役軍人男は退職パーティーで40歳のCレーションのパウンドケーキを試みた。
「これはまだ少ししっとりしてるよ。」
彼の退職パーティーの参加者は、彼に食べるように進められたが、タジタジ"だったという。
ところで、やっぱりうちの旦那、何かあるまで電話連絡はしてきませんでした。
『車...今、修理してもらってる。』
『だから直り次第、帰るから。』
夜中、帰宅。
『お腹空いた~!お好み焼き作って~!!』
やはり、毎日暗くなるまで、疲れるまで忙しく遊んだのね。
まともな料理、食事でなかったのか?!
翌日。日本の文化が大好きなキースを、回転寿司に連れて行く事にした。


パイニー大喜び~! サーモン食べまくり! マグロ食べまくり~!


キースもパパよりいろいろなものに挑戦してゆきました。
彼は、空手のブラックベルト。
ほんとは、シアトルじゃなくて、今週は日本にぶらりと行こうかな?と考えてたらしい。
寿司を食べながら、旦那そっちのけで会話。
パパとはまた違ったマニアックな性格。
実は、彼、先日書いた、私がいつか結婚するだろうな~っと思い描いていたようなタイプのドクター。
手術医。(でも現実は...理想がぴたり自分に合ってるとは限らない。神様、サンキュー)後日アップ。
うちのパパがドクターになるきっかけを作った人でもある。
大学でそろそろ何を職業とするか決めないといけなかった頃、
『医者にでもなろうかな。』とキース。
『じゃ、俺も。』と...。
二人ともオールA学生だったので、簡単に次のステップへ。
でもうちの旦那は、現代医学が気に食わなくて、自然治療法で随一のシアトルの大学へ。
この10数年間で両者結婚、親になったそう。(残念ながら、一人は只今シングル。)
合えたチャンスは、数えるほどだった。
そんな訳で、今回こうやって若かった時のように二人が遊べた事は、良い事。
残る時間、もっと危険な冒険、しておいで~!
『いや、もうクタクタ! 疲れた。』 (二人とも。)
ここに流れ過ぎ去った歳月を感じます。
という事で、私のお勧めする市内観光!
これは、長くなったのでパート2にしておきます。