ゴールデンゲートを渡れば。。。

ゴールデンゲートブリッジ~!
橋は「ゴールデン」の名と異なり「インターナショナルオレンジ」カラーで塗装されているが、
名称に「ゴールデン」とついたのは、1846年にジョン・C・フリーモントがこの海峡を
「ゴールデン・ゲート」と名付けた事に由来する。なお、ゴールドラッシュとは無関係である。
カントリーパパは、この橋が黄金でなかったことにがっかりしていた。(そんなわけないでしょ!)
ちなみにここは、この世からおさらばしようとする人たちの場所でもあります。
海面まで75mもあり、岸までが遠いので...好都合だそう。(98%)
対策をして欲しいとも思いますが、金網やネットでは外観が損なわれたり修理のコストの為に
いまだ何もされてません。

北岸おしゃれなサウサリト側泊まっていたのでゴールデンゲートを使ってサンフランシスコ入りしました。


通行料有りのサインが、いきなり...

(カントリー家のボロ車...こんな車にでも6ドルは、痛い。)
住民さんは...ETCで片道5ドルになるらしいけど...毎日往復に10ドルも払いたくない! よね。
ちなみにこの料金所の右側の崖を下りて行くと 丸秘ビーチ が!
それは昔、まだピチピチギャルだった私が何も知らずに転がり落ちれそうな崖を
興味本心から一人下りていった時のことでした。
ビーチからの橋の写真、撮ってみたい。
下るにつれ明かされる、丸秘...ヌーディスト! (皆さん、スッポンポンだわ!)

バンクーバーで通っていた大学の裏ビーチもそうだったので、全然平気でしたが。。。
ショックだったのは、通り過ぎる人々は100%、今で言う モデルランクのイケメン!
なのに...
ナンパどころか、見向きもされないんです。
なぜ???

そう、サンフランシスコ。
カミングアウトもあったものじゃない!
「いい男で高そうな靴を履いていたらゲイだと諦めなさい。」と
その時、言われました。
同じ場所からの橋の写真をデジタル化したかった私ですが。。。 もちろん旦那には反対されました。
そして綺麗な写真をお借りしようかと思ったら。。。

今でもやっぱりそうみたい。 (クリックしても拡大できませんよ。)
寒い時期に行けば、さすがにヌーディストはいないと思います。


諦めて、一般的なビーチから写真を撮ることに。 釣り人から暇つぶし

カモメさんの後ろに映っている島がアルカトラズ です。
1775年、スペイン人が島を発見し海図を作る時、 "La Isla de los Alcatraces" 「ペリカンの島」と
名づけた。

きっとこのペリカンもその当時からいたペリカンの子孫でしょう。

メキシコによるカリフォルニア統治時代の終わり、メキシコ政府は 島に灯台を建設する条件 で島の所有名義が譲渡された記録があります。
米墨戦争で(1846年 - 1848年)アメリカが支配権を得ると、ジョンフレモントがこの無人島を購入。
しかし、1850年、ミラード・フィルモア米大統領の命により、島は軍事目的のために取り上げられた。
島の購入は無意味になり、フレモント及びその相続人から政府に対して何度も訴訟が起こされた。
1848年、シエラネバダ山脈の麓で金が発見されて ゴールドラッシュ が始まり、
多くの船が寄港する重要な地となり、灯台が至急必要になり52年に灯台、翌年には島要塞化工事の着工。
南北戦争(1861年 - 1865年)の直前までに、86の大砲が島を巡らすよう工事が進められたものの、
戦争が終わると徐々に撤去され、それに代わって防弾壁、内部には弾薬庫などが設けられていた。
この前後、監獄としての役割も果たすようになった。地下の留置場に脱走兵、窃盗犯、酔っ払いなどが
収容されたそう。
1906年、サンフランシスコ地震 で街が壊滅し、市内の刑務所に火災の危険が迫ると、
そこにいた一般の受刑者176人が急遽アルカトラズ島に移された。
この頃から島は 本格的な刑務所へ転換 した。
受刑者にとっては、必ず1人につき一つの監房が与えられることなど他の連邦刑務所と比べて、
アルカトラズ刑務所への移送を希望する受刑者 すらいた。
食糧、衣服、居住、医療の四つは権利として与えられていたが、それ以外のもの仕事、面会、図書室の利用、レクリエーションなどはすべて「特典」であって、努力によって獲得するものとされた。
刑務所の外からはサンフランシスコの街並みがすぐ近くに見えますが、
速い潮の流れとその低い温度 が脱走を試みるものたちを常に阻んでいました。
14回の脱獄事件が起きたそう。
有名なのは1962年フランク・モリスとアングリン兄弟が監房から消えるという有名な脱獄事件。
手製のドリルで通気孔が広げられ、気付かれないようベッドには作り物の人間の頭が置かれていた。
壁の後ろのパイプなどを伝って建物から脱出し、島の北東部から泳ぎ出した。
島外にたどり着いたかは不明。


映画アルカトラズからの脱走。 若き Clint Eastwood が主人公のFrank Morrisを
演じています。
1963年、食糧や水の輸送供給に費用など財政的理由により連邦刑務所は閉鎖されました。
(当時、1人当たりのコストはアトランタ刑務所で3.00ドル
であったのに対しアルカトラズでは10.10ドルに上った。)
そんなヒストリック(歴史)をママが説明しているのに。。。


ビーチに着くなりした事は...蟹捕りでした。
蟹捕りの後は、
やっぱり フィッシャーマンズワーフ で、お目当てのカラマリとクラムチャウダー。


カラマリは、こっちではチリソースが主のよう、がっかり。

カラマリはなんて ギリシャ風が一番! レモンとヨーグルトニンニクソース持って来~い!!
その上、白鳥パパがオーダーしたからか?! クラムチャウダーを入れてるサワドーブレッドの器、
中身がしっかり刳り貫かれてないよぉ。

(ボストン)クラムチャウダーがその分たっぷり入ってるんです。
今回は、パンが余ってしまう感じでした。


その後、雨の中でもロープの結び方で盛り上がったカントリーキッズ。
ハワイのパールハーバーでも同じことで1時間...観光スケジュールがどんどんとずれてゆきます。

ちなみにアルカトラズツアーもここから出てます。
記事もぱっぱと簡潔にしようと思ったのに。。。他の名所は又後日。